沖縄のお墓は石材とコンクリートどちらがいいの?

コンクリートを流し込む様子

沖縄のお墓を見かけた際に、石材でつくられた沖縄のお墓と、コンクリートでつくられたお墓があることにお気付きの方も多いと思います。そして、多くのコンクリート製のお墓は比較的古く感じられるのではないでしょうか。

そうなんです。一昔前、沖縄では現在お墓の材料の主流である、御影石が非常に高価でした。しかし、近年、中国などから低価格で良質な御影石が輸入できるようになったため、御影石がコンクリートから主役の座を奪ったと考えられます。

しかし、いまでもコンクリート製のお墓は現役で、お墓をつくる方法として選択されています。では、石材コンクリートのどちらの方が材料としていいのでしょうか?それぞれの特徴を見ていきましょう。


石材で沖縄のお墓をつくる

昔からの沖縄のお墓を見ると、コンクリートでつくられた沖縄のお墓をよく目にするかと思います。一昔前では、沖縄では基本的にお墓はコンクリートでつくられましたが、今は御影石が主流になりました。

その理由は、コンクリートは石に比べて耐用年数が低いことが挙げられます。コンクリートは、鉄筋コンクリート製の住宅と同様、長い年月が経てば劣化してしまいます。

コンクリート製の沖縄のお墓は、40年も経つと、コンクリートにヒビが入ったり、中の鉄筋が劣化して、構造物が壊れやすくなります。その点、御影石でできた沖縄のお墓の場合、コンクリートのような心配はありません。


コンクリートで沖縄のお墓をつくる

では、なぜ今でもコンクリートの沖縄のお墓が建てられるのでしょうか?それは、石材の沖縄のお墓の場合、材料を運び込むことが難しい場所があるためです。

沖縄のお墓は、街中だけでなく、非常にアクセスしにくい場所にお墓が建っている場合があります。例えば、山の奥深くの場合や、沖縄の霊園の中でも、道が非常に狭いか、もしくは、人がやっと通れるくらいの通路しかアクセス方法がない場所に建っている場合があります。

このような場所に、トラックなどで石材を運び込むことは困難です。ところが、コンクリートの場合だと、木材を運び込んで型枠をつくり、ホースを使ってコンクリートを流し込むことができるので、重機が入れない場所でも沖縄のお墓をつくることができます。


沖縄のお墓の材料はコンクリートと石材のどちらがいいの?

近年、沖縄のお墓をつくるための御影石の価格が下がり、石材でお墓をつくることが主流になってきました。石でできた沖縄のお墓はコンクリートと比べて耐用年数が長いため、耐用年数を考えれば、石材でつくるほうがいいでしょう。

しかし、どこにお墓を作るかを考えた場合、そう単純ではありません。今建っている沖縄のお墓の建て替えを考えた場合は、そこに石材を運び込むことができなければ意味がありません。こういった場合は、コンクリートで沖縄のお墓をつくることが最適な場合もあります。

このように、どの材料を使ってお墓をつくることが最適かは、条件によって変わってくるのです。


まとめ

沖縄のお墓をつくるには、石でつくる方法と、コンクリートでつくる方法があり、両方ともメリットとデメリットがあることがわかりました。

御影石などの石材で沖縄のお墓をでつくった場合は、コンクリートと比べて耐用年数が高いことがわかりました。その一方で、石材はコンクリートのようにどんな場所にでも運び込むことはできず、山の奥のほうや、道が狭すぎて重機が入らない場所には建てられないことがわかりました。

そして、どちらにもメリット、デメリットがあり、使い分けをする必要があるということです。

このような点を踏まえてお墓をつくることで、ご希望に合った沖縄のお墓をつくることができるのではないでしょうか。

沖縄県外から沖縄のお墓を買うには?

最近では沖縄へ移住する方が大変多いため、県内への移住者が沖縄でお墓を買う機会も多くなっているように思われます。沖縄は全国的に見ても、独自の歴史と文化があり、特にお墓は形状やサイズも大きな違いがあります。このため、どのようなお墓を買えばいいのか、戸惑う点が多いかともいます。

また、シーミーなど、沖縄には全国的に見ても非常にユニークな風習があるため、このような点でも分からないことだらけではないでしょうか。

沖縄でお墓を買う場合、沖縄でも当然ながら、全国と同じ墓地埋葬法に従ってお墓が建てられ、販売されます。本質的には同じと考えて良いでしょう。ただ、沖縄独自の習慣や風習があるため、分かりにくい点が多いかもしれません。


どこでお墓を探せばいいの?

沖縄でお墓を買う場合、大きく分けて二つの方法があります。管理型霊園でお墓を買う方法と、個人で墓地を購入してお墓を建てる方法です。

霊園でお墓を買う場合は、本土で買う場合とさほど違いがないでしょう。沖縄にも、全国と同様にお寺などの宗教法人によって運営される霊園と、公益法人によって運営される霊園とがあります。

沖縄で、宗教法人によって運営される霊園は、□□寺△△霊園など、名前に特徴があるのでわかりやすかと思います。

そしてもう一つ、公益法人によって運営される霊園は、沖縄県内で非常に大規模に展開されているため、沖縄に住んでおられる場合に、テレビCMなどでもよく目にされるかと思います。

そして、これに対して、自分自身で墓地を探してお墓を建てるという方法もあります。この場合、自分で墓地を直接購入して、石材店を探してお墓を建てます。

このような方法があるのは、沖縄独自の歴史的、文化的な背景が理由にあります。沖縄は、他府県とは違い、檀家制度などが普及していなかったと考えられます。このため、お寺などが管理する場所に、密集してお墓を建てる風習がなかったことが原因でしょう。

ただし、自分で墓地を 探さなけらばならなかったり、市町村に許可申請が必要だったりと、個人墓を建てる場合には注意が必要です。希望される場合は、市町村などの自治体や石材店などによく相談されることをおすすめします。


沖縄にはお墓にまつわる固有の風習がある

沖縄には独自の歴史と文化あります。特に、お墓にまつわる風習は、全国的に見ても非常にユニークなものがあります。沖縄固有の文化になじみのない方は戸惑うことも多いのではないでしょうか。

代表的な例として、シーミーと呼ばれる清明祭が挙げられます。地域によってはウ、シーミー(御清明)とも呼ばれます。シーミーの時期になると、沖縄では、家族、親せきがお墓に集まって、ブルーシートを敷いてピクニックさながら、ご飯を食べたりします。

また、シーミーの前の時期になると、その準備としてお墓を掃除したり、草むしりをしたりして準備を始めます。このような習慣は、沖縄県外から来られて、沖縄の文化になじみのない方は、非常に驚かれるかと思います。


シーミー時期には交通渋滞に注意

ここで、意外と注意しなければならないのは交通渋滞です。シーミーの時期には、沖縄県内各地の霊園付近の道路がものすごく渋滞します。

シーミーの時期は、何月何日と具体的な日付が決まっているわけではありません。だいたい4月いっぱいと考えていただければよろしいのではないでしょうか。

4月に入って、特に土日は沖縄県内の霊園の周辺が非常に混雑します。中には、朝に霊園の敷地内に車を駐車して、シーミーを終えて出ようとすると、渋滞で何時間も出れなかったという話を聞いたりします。

このように、沖縄は全国的にも珍しい風習があります。お墓を探したりする際は、このような点も注意して探されたほうが良いかもしれません。


まとめ

本土からの移住者がお墓を探す場合、基本的には県外と同じで、管理型霊園などからお墓を買うことができることをご説明しました。

その一方で、沖縄特有の事情があり、個人墓も沖縄には存在していることもご紹介しました。ただし、自治体からの許可等が必要なので、購入する場合は自治体に問い合わせるなど、十分注意する必要があることをご説明しました。

また、沖縄では、シーミーなどの時期には交通渋滞が発生するので、十分注意する必要があることもお話ししました。

沖縄県内への移住者の数が増えているため、お墓の購入希望者の数が年々増加しているようです。

このような点を踏まえて、皆様がご希望のお墓が見つかるものと期待しております。

意外と知られてない沖縄のお墓の歴史

沖縄の石門

意外にも、沖縄のお墓の歴史を見てみると、私たちが亀甲墓や破風墓のようなお墓を造るようになったのは、沖縄の歴史の中でごく最近のことであることがわかります。

今のような破風墓や亀甲墓が沖縄で出現したのは、16世紀以降のことであり、それ以前は洞窟や森の中に埋葬するスタイルが一般的だったと考えられます。そして、一般庶民が今のようなお墓を造ることが許されたのは、なんと、明治以降になってからだというのです。


風葬の風習

もともと沖縄では、今のような亀甲墓や破風墓のようなお墓を造るという習慣がなく、洞窟や森の中の、ある特定の場所に遺体を安置して、風葬をする風習を持っていました。このため、火葬の風習は歴史が浅く、本土とは違う、独自の風習を持っていたことがうかがえます。

琉球王国時代に聖地とせれていた久高島では、1960年代まで風葬が行われていたと考えられています。

沖縄は地理的な位置も影響してか、本州とはまた違った文化、歴史の流れを持っています。風葬の歴史があったということは、それほど一般的に知られていることではないかもしれません。

このような独自性が、現代の沖縄のお墓の風習にも、強い影響を与えているものと思われます。


士族や王族のみがお墓を持つ

1500年代に入ると、初めて沖縄に、現代のような亀甲墓や破風墓のようなお墓のスタイルがみられるようになったと思われます。初期に登場したと思われるお墓は、第二尚氏で琉球国王のお墓である玉陵(たまうどぅん)です。

こちらのお墓は、現在の一般的なお墓である破風墓のデザインをしています。破風墓は今でも沖縄県内で非常にポピュラーな形の一つですが、この玉陵にルーツを持っていることがうかがえます。

そして、もうひとつ、沖縄のお墓でポピュラーなデザインである、亀甲墓の登場は、1600年代以降であると考えられています。

亀甲墓のデザインは、昔の中国から伝わっていたと考えられています。その証拠に、中国のほうでも、沖縄の亀甲墓のようなデザインのお墓を見ることができます。沖縄の初期の亀甲墓は、伊江御殿墓(いえうどぅんばか)や護佐丸の墓などが有名です。

ただし、この時代にお墓を造るということは、この時代には、王族、士族にしか認められておらず、一般庶民がお墓を持つまでには至りません。


明治に入って庶民も墓を持つ

明治に入り、廃藩置県が行われると、ようやく一般の人たちがお墓を持てるようになったのです。

今では、お墓を持つことは、一般的でごく当たり前のこととなり、なくてはならないものとなりました。しかし、沖縄の歴史の中では、庶民が今のようなお墓を持つということはそれほど古い習慣ではありません。

特に、一般庶民が持つということは、沖縄の長い歴史の中で、ごく最近のことと言えるでしょう。


まとめ

沖縄のお墓の歴史を駆け足で見て参りました。沖縄の長い悠久の歴史の中では、今のようなお墓の風習は意外と古くないことがわかりました。

琉球国王がいまのような形のお墓を持つようになったのは16世紀以降のことで、それ以前は洞窟や、森の中の特定の場所に安置していたというスタイルをとっていたことがわかります。

そして、16世紀にはいると、国王をはじめ、士族などの上流階級が今のような形態のお墓を持つようになります。

そして、明治に入り、ようやく一般的な人々も、亀甲墓や破風墓などのお墓を持つことが許されるようになりました。